筆者が見つめてきた6年間を振り返ってみた!


本連載コラムは今回で300回を迎えます。そして今回が最終回となります。

第1回の記事が掲載されたのは2017年12月。あれから約6年間に渡って毎週欠かすことなく掲載していただくことができ、また多くの読者の方から数え切れないほどの反応や反響を頂けたことを大変ありがたく思っております。

思い返せばこの6年間、筆者は勉強の日々でした。毎日情報を集め、取材に赴き、それでもわからない点はわかるまで掘り下げ。どうしても噛み砕いて説明ができそうにないテーマはコラム化を断念したことも少なくありません。

感性の原点からテクノロジーの特異点を俯瞰する連載コラム「Arcaic Singularity」。最終回となる今回は、筆者がこの6年間で何を見、何を思い、何に気づきを得たのかを書き綴りたいと思います。


テクノロジーを追いかけ、その意義を問い続けた6年間だった

■テクノロジーの光と闇
筆者はコラムの連載を始める前、1つの言葉をメモ帳に書き記しました。

「テクノロジーは人の幸せのために使われなければいけない」

それは本連載コラムの根幹テーマであり、これまでの299回すべての記事に共通するキーワードでもありました。

スマートフォン(スマホ)やその通信システム、さらにはパソコン(PC)や自動車や流通システムまで、さまざまなジャンルのテクノロジーを追いかける中で、「そのテクノロジーは人の幸せに繋がっているだろうか」と常に考えていたのです。

例えば代表的なものはスマホです。そもそも本コラムでも圧倒的に多くその関連技術や人々の利用動向について精査・考察してきましたが、現代社会を構成する要素としてスマホは絶対条件となった道具です。

スマホは人々にインターネットを活用する道筋を与え、その面白さを教え、企業にも新たなビジネスチャンスを大量に与えました。本連載コラムが始まる頃にはすでにウェブサイトデザインもスマホの画面に最適化が進んでおり、日々大型化・縦長化するディスプレイに対してウェブサイトの表示がどのように変わってきたのか、さらにコンテンツデザインの柔軟性を助長したことについて考察した回もありました。

【過去記事】秋吉 健のArcaic Singularity:スマホのディスプレイ進化論。画面はいかにして「角丸デザイン」へと行き着いたのか。その理由や意義について考える【コラム】

他にも、スマホに関する技術の解説や考察は数多く、モバイル通信、Wi-Fi、バッテリー、SoC(チップセット)、メモリー、ストレージなど、あらゆることをテーマとして取り上げてきました。

時にはまだ登場していない技術について未来を予測し、このような通信環境やスマホが出たら……と夢を語ったこともあります。

【過去記事】秋吉 健のArcaic Singularity:Wi-Fi 7がモバイル新時代を切り開く! 新たな規格策定の意義と未来への展望を考える【コラム】

一方で、スマホは人々を不幸にすることもありました。ゲームアプリでの行き過ぎた課金やSNSによる犯罪、常にスマホの画面を見てしまうスマホ依存など、ネガティブな要素についてもできる限りの情報を発信してきたつもりです。

テクノロジーによって人々の生活や人生が豊かになっていく一方で、そのテクノロジーに飲まれてしまう人がいる。あるいは取り残されてしまう人がいる。それはとても悲しいことであり、筆者が全力で改善のための情報発信を続けてきた理由でもあります。

【過去記事】秋吉 健のArcaic Singularity:分かっちゃいてもやめられない。スマホ利用の時間や用途からスマートライフ時代の生き方を考える【コラム】

大変心苦しいことに、人間の社会はテクノロジーによって常に進化しています。それは不可逆的な変化であり、二度と以前の社会構造には戻らないという人類全体の強い意志のようでもあります。

つまり、テクノロジーに関する知識を休むことなく取り込み続けなければいけないのです。これは記憶力や応用力の低下した年配者にはとても難しいことでもあり、それがデジタル・ディバイドという時間以外に解決方法のない問題を生み出してしまいました。

かく言う筆者も、この6年間で視力や記憶力などで老化を感じ始めており、テクノロジーの進化にどこまでついていけるだろうかと戦々恐々です。それほどの覚悟と努力を強いなければいけない現代社会に歪さすら感じてしまいます。

【過去記事】秋吉 健のArcaic Singularity:デジタル・ネイティブが日本を救う?IT世代とそれ以前のデジタル・イミグラント世代との格差や現状から日本の未来を考える【コラム】

■人は自らの意志で変わっていく
筆者が本連載コラムの執筆を続ける中で確信していったこともあります。それは「人々の意志や意識は外部から変えられない」という事実でした。

当初、筆者はコラムを通して人々が何かの気づきを得て能動的に変化していってくれるのではないか、あるいは人々の意識を変えられるのではないかと考え、努力してきました。

結果としては、なんとも言い難い微妙なものでした。本コラムやモバイル関連記事をきっかけとした人々の意識の変化があったのかは定かではなく、中には防災や緊急時の通信経路確保(副回線の契約など)のように、毎年何度もテーマにしてきた情報が全く生かされていない事実を見て自分の力不足を呪ったこともあります。

【過去記事】秋吉 健のArcaic Singularity:災害発生!その時通信会社は……。大阪北部地震に学ぶ通信会社の災害対策やユーザーが行うべき行動について考える【コラム】

【過去記事】秋吉 健のArcaic Singularity:すべての人に複数回線契約!KDDIとソフトバンクが開始する副回線サービスのメリットとデメリットを考える【コラム】

しかしながら、外部から意識を変えられないとしても自身が能動的に変わることはできるのだという希望も得ました。

上記のような災害・緊急時対策などはどれだけ訴えかけても馬耳東風でしたが、いざ大手通信キャリアによる大規模通信障害が続けざまに発生すると、人々は流石に危機感を持って副回線契約について調べ始めたのです。

そしてその調べる際の参考として、筆者の過去のコラムが参照されたこともありました。

リアルタイムでは理解されず注目も集めなかったような記事でも、後から参考にしてもらえるというのはウェブサイトの強みの1つです。筆者ですら、PCのトラブルのときなどは誰かが書き残したウェブサイトの情報を参考にしながら解決することが多いだけに、つまりそういうことかと強く納得した記憶があります。

【過去記事】秋吉 健のArcaic Singularity:高度情報通信社会時代の受難。大規模au通信障害から社会の抱えるリスクと取るべき行動を考える【コラム】

他にも、最近のコラムで取り上げたポイントサービスの活用についての調査データなどは、人々が実生活の危機を敏感に感じ取り、これまで注目してなかったようなポイント経済圏の活用へ一気に意識が向き始めている点が如実に分かり、人々は危機意識さえあればどんな変化も柔軟に対応できるのだという確信を得たのです。

【過去記事】秋吉 健のArcaic Singularity:たかが1ポイント、されど1ポイント。アンケート調査から見える通信各社の経済圏への人々の関心と意識【コラム】

■テクノロジーの可能性を信じて
6年前の最初のコラムは、AIについてでした。当時スマートスピーカーが大ブームとなっていましたが、筆者は「スマートスピーカーは便利かもしれないがAIではない」と考察し、実際にはかなり冷めた目線でそれを見ていました。

【過去記事】秋吉 健のArcaic Singularity:AIと人の邂逅点。AIは人をどこまで導けるのか?「提案」をキーワードにAIの未来を考える【コラム】

あれから6年、今年は奇しくも生成AIの大ブームです。昨年秋頃から始まった画像生成AIブームに続き、いわゆる「ChatGPT」に代表される言語生成AI(大規模言語モデル)が爆発的に話題となり、今や人々は画像生成AIも言語生成AIもスマホで手軽に利用する日々です。

それでもまだ、筆者はこれらのAIをAIとは呼びたくない印象が強くあります。それは6年前に述べた「「提案」こそが進化の鍵」という言葉そのものであり、今の各種生成AIはこちらの入力に対して対応した画像や言語を生成するものの、自発的な提案や質問をしてこないという時点でまだ一歩足りないと感じているのです。

【過去記事】秋吉 健のArcaic Singularity:画像生成AIは人々の希望か、悪夢か。シンギュラリティの片鱗を感じさせる技術の意義と課題を考える【コラム】

編集部から本連載コラムの終了を告げられたのは今年2月頃でしたが、まさにその頃にAIブームは絶頂でした。そんな人々の浮かれ具合を横目で見つつ、自分自身も各種画像生成AIや言語生成AIを試しながら、これらのテクノロジーは間違いなく脅威的な速度で向上し、筆者が考えているようなAIとしての挙動を手に入れるだろうと胸を躍らせていました。

そしてその時、本連載コラムを開始する際に書き記した「あの言葉」のすぐ下に、一言付け加えたのです。

「テクノロジーは人の幸せのために使われてきたと信じたい」

今の日本は度重なる増税や物価高からの閉塞感に覆われ、SNSを見ても暗い話題が目立ちます。意見の異なる人々が対立し、常にスケープゴートを探しているような、そんな時代の重い空気を感じて久しい日々です。

筆者は、スマホや通信技術がそんな人々の醜悪な感情のために使われてきたことを悔やみつつも、それだけではなかったはずだと常に信じています。

スマホの関連技術であれ、通信技術であれ、SNSであれ、AIであれ。

テクノロジーは常に人々の幸せのために進化し、幸せのために使われて欲しいと願って作られてきたはずなのです。もちろん、企業の利益は最優先でしょう。しかしその利益を出すこと自体が経済活動の活性化を生み結果として人々を幸せにしてきたと信じたいのです。

時には競争し、時には共創して時代を創っていく。それが通信に関わるテクノロジーです。そこに幸福へのベクトルが必ず備わっていると信じたいのです。

【過去記事】秋吉 健のArcaic Singularity:すべての人々に適正価格を!モバイルリテラシーに左右されない通信料金プランを提案できる未来を考える【コラム】

書きたいこと、書き残したことは山ほどあります。しかしながら、それらをすべて書く時間はありません。筆者にはあと数行書くことしか許されていません。

テクノロジーは人々を幸せにしたのか。その「過去形の答え」は絶対に出ないでしょう。何故ならテクノロジーは常に進化し続けているからです。ある時点では幸せにならなくとも、次の技術が人々を幸せにしていたかもしれないのです。

だからこそ、テクノロジーは人の幸せのために使われてきたと「信じたい」のです。何処かの時点で、きっと誰かを幸せにしてくれていたはずです。

家族の写真を実家にメールで送って喜んだ日。
PHSで恋人と深夜まで長電話をした日。
ケータイの着メロを打ち込んで友人と楽しんだ日。
電車の中で動画視聴を楽しめることに感動した日。
iPhoneの発売にお祭り騒ぎをしながら情報を集めた日。
SNSに「映える写真」を投稿したくて旅に出た日。
通信料金が劇的に下がって喜んだ日。

そんな日々を筆者は少し遠くから眺めていたかったのです。そして、その夢は叶いました。

Arcaic Singularity。古拙な特異点。テクノロジーと人々の関わり合いを時代遅れな昭和生まれの目で見つめ、最新の知識で考え続けた300回。これにて筆を置かせて頂きたいと思います。

永らくのご愛読、誠にありがとうございました。


人の幸せを信じて、これからも進もう

記事執筆:秋吉 健

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