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「高速水着」という言葉を聞いたときに思い浮かぶのは北京五輪を席捲したイタリア・Speedo社による「レーザー・レーサー」でしょう。その突出した性能はトップ選手のほぼすべてがレーザー・レーサーを着用するほどのものであり、当時のレーザー・レーサーによって生み出された記録は今なお世界記録として数多く残されています。

2009年の国内水泳連盟(FINA)のルール改定により、当時の高速水着は2010年以降はレースでの使用が禁じられました。しかし、実は現在も競技用水着の開発は進んでいます。新たなルールのなかで各用具メーカーがそれぞれ独自の理論を追求し、むしろその競争は激化しているほど。

スイマーの姿勢を一直線に保つ「コアスティンガー」という理論で足の開きを防止することなどを目指したアシックス社の「トップインパクトライン」。水面と平行に泳ぐことで抵抗が減るとする「フラットスイム」の理論で下半身の下がりを防止したというミズノ社の「GX」シリーズ。人間は後ろ向きの蹴りが不得意なのでそれをサポートすることを目指したとするarena社の「アクアフォース」などさまざまな競技用水着が注目を集めています。

そしてSpeedo社では現在も「レーザー」を冠する競技用水着を製作しており、現行モデルではシドニー五輪当時に話題となった「サメ肌」の表面加工に回帰し、水の抵抗を抑えることを目指すなどしています。素材の軽量化や縫製部分の減少、硬軟織り交ぜた生地による動きのサポートなど、各メーカーが技術を尽くして競技力向上を目指しているのです。

その結果、2019年の世界選手権では6個の世界新記録が誕生し、かのマイケル・フェルプス選手による「高速水着時代の記録」も更新されました。去る1月18日には瀬戸大也選手が200メートルバタフライで、高速水着時代の2008年に松田丈志選手が記録した「最古の日本記録」を更新したことでも話題になりました。

そうした新記録誕生が「高速水着時代の記録を破った」と評されることはあっても、「新たな高速水着のおかげ」と揶揄される向きはありません。それは「レーザー・レーサー」潰しとも言えるような厳しい制限を設け、ルールのない状態での開発競争に歯止めをかけた競泳界の英断あればこそです。

革新的新技術というものは、革新的であるがゆえにルールのなかにそれを縛る規定がそもそもなく、即座にルールで規制することは困難です。しかし、突出した性能が発揮されれば、それを用いて生まれた結果に対してルールの隙間を突いた技術ドーピングではないかと疑義が抱かれることになります。それは天賦の才能と不断の努力によって記録を残した、当時の選手たちにとっても不幸なことです。

今、陸上長距離においてはナイキ社の厚底シューズが話題を集めています。すでに「厚底シューズ」あるいは「ヴェイパーフライ」といった名称はひとり歩きを始め、選手以上の存在感を見せています。そして、厚底部分に仕込まれたカーボンプレートが板バネの働きをして「地面を踏むチカラを板バネで推進力に変換している」のではないかという疑いが持たれ、せっかく更新された記録も、ひとくくりに「厚底シューズによるもの」とみなされ始めています。しかも、そうした視線で見られるなかで、用具メーカーはカーボンプレートの枚数を増やした新型を用意しているとも言われます。

もはや、厚底シューズで記録を更新しても、選手の成長によるものではなくシューズの効果と短絡的に決めつけられてしまうでしょう。現役陸上選手や市民ランナーがどう反論したとしても、よく事情を知らない世間はひとくくりに「厚底シューズによるもの」と思うのです。かつて現役陸上選手や市民ランナーが傍観者の立場から「レーザー・レーサーによるもの」と思ったときと同じように。